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説明しない。その代わり、判断は全部ひとりで引き受ける。

嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか鈴木 忠平

嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか (文春e-book)

鈴木 忠平 ・ Kindle版

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ひとことで言うと落合博満が中日を率いた8年間(2004〜2011)を、12人の選手・コーチ・フロントと、若手番記者だった著者の目から年ごとに描くノンフィクションです。語らず、説明せず、勝ち続けた監督の強さと孤独、その代償まで描いています。

INTROどんな本か

そもそも、なんでこの人はここまで嫌われたんでしょうね。

落合博満さんが中日の監督を務めた8年間(2004〜2011年)で、リーグ優勝は4度。2007年には53年ぶりの日本一。それでも、語らない、説明しない、情報を出さない人として、外からは冷たく見られ続けた。強いのに、愛されない。この本の問いはそこです。

著者の鈴木忠平さんは、日刊スポーツでプロ野球担当を16年務めた記者。本書では、記者の序列の末席にいた若手の番記者として、自分も登場します。電子版は2021年9月20日発行で、「週刊文春」の連載に大幅に加筆したもの。

作りがうまい。2004年から2011年まで年ごとに12の章があって、各章は1人の人物の目で語られる。川崎憲次郎、森野将彦、福留孝介、宇野勝、岡本真也、中田宗男、吉見一起、和田一浩、小林正人、井手峻、トニ・ブランコ、荒木雅博。落合本人の内面は直接書かない。周りの12人の目に映った落合を重ねて、輪郭を浮かび上がらせていく。

山場は2007年の日本シリーズ第5戦。完全試合ペースの山井大介を、9回に岩瀬仁紀へ代えた、あの継投です。ドームは怒号と悲鳴で揺れた。本書はその裏側を、5人の目で追いかける。

俺は「僕のLIMITS④」で、評価が荒れるのは基準が曖昧だからじゃない、誰かが責任を引き受けているからだ、と書いた。この本の落合は、それを8年間やり続けた人に見える。全員に配慮した判断は、反発も生まないけど、記憶にも残らない。

しかも、最初から冷徹な機械だったわけじゃない。2004年の日本シリーズで、選手の直訴に折れて続投させ、負けた。その甘さを自分で認めたうえで、3年後に非情を選んだ。失敗のあとに何を選んだか。人の判断は、そこで露出する。

ただし本書は、語らない設計の代償も隠さない。外の反感、内の孤立、眠れない夜、本社の派閥。勝ち続けたことが、自分の首を絞めていく。

俺は、これを野球の本というより、評価と責任の本として読むのがいちばん面白いと思う。チームを率いる人、人を評価する立場の人には、かなり効きます。

好き嫌いで使っていない、嫌われても外せない選手になれ。落合が荒木にかけたこの言葉が、そのままこの本の芯です。

CHAPTERS章ごとの中身

プロローグ・第1章川崎の開幕投手起用に、三つの意味

プロローグは、2003年10月3日の朝。スポーツ紙に入って4年目の著者が、名古屋のデスクの命令で、東京・世田谷の落合邸の前に立つ。用件は、落合が監督になると聞いた、記事にする、と伝えるだけ。落合は話を最後まで聞かずにデスクの名を言い当て、書くなら書け、という趣旨だけ返して去る。否定はしなかった。8年の始まりです。話の途中で相手の上司の名前を当ててくる人、普通に怖いです。笑

第1章の視点は、34歳の右腕・川崎憲次郎。ヤクルトで12年88勝、沢村賞。2001年にFAで中日へ来た直後に右肩を壊し、3年間一軍登板なし。「不良債権」と呼ばれていた。

落合の1年目の方針は、補強なし、全員にチャンス、自分の目で判断。2004年1月2日、落合は川崎に電話で開幕投手を告げ、誰にも言うなと口止めする。4月2日の広島戦、球速は140キロに届かず、2回に5連打で5失点して降板。川崎はその後勝てずに二軍へ、チームは5年ぶりに優勝した。落合は、3年もがいた選手の姿をチームに見せる必要があった、と語る。優勝の翌日には自ら来季は契約しないと告げ、古巣ヤクルト戦での引退登板という花道を用意した。

謎解きはそのあとです。落合はコーチ7人と契約を解除し、選手12人に戦力外を通告。1年かけて情報漏れの経路を内偵していて、開幕投手の口止めはリトマス試験紙だった、と本書は読む。チームへのメッセージ、本人の引き際、情報の試験。死に場所を用意する優しさと、身内を信用しない冷徹さが、一つの采配に同居している。

俺は、この章で読み方が決まると思う。落合の采配を一つの目的で説明しようとすると、だいたい読み違える。

第2章立浪を無言で外し、三塁を森野に

視点は27歳の内野手・森野将彦。高卒1年目に本塁打を打って天才と呼ばれたのに、10年近く代打・守備固めの便利屋のまま。練習では見事な打球を飛ばすのに、試合では淡白な「カゴの中の強打者」でした。

2005年の秋季キャンプ初日、落合は森野に、レギュラーを取る覚悟はあるかと問う。打撃で立浪には勝てないが、守備を一からやるなら可能性がある、と全員の前で立浪の三塁に入れと告げる。グラブを外したら終わり、時間も球数も決めないノック。森野は2時間を超えて日没まで耐え、倒れて搬送される。目覚めて湧いたのは、落合への激しい怒り。それが、初めての「執着」だった。

落合が説明しない理由も、著者がタクシーに同乗して聞き出している。何を言っても叩かれるから、説明しない。選手は生活をかけて争っているから、監督の口出しは邪魔で、決着は選手同士でつける。ベンチの左端に座るのは、毎日同じ位置から三遊間を見るためで、抜ける打球が年々増えていた。立浪の守備範囲の衰えを、定点観測で見ていたわけです。

2006年7月2日、落合は立浪を無言でスタメンから外す。歴代監督が本人とメディアに説明してきた「聖域」を、説明なしに崩した日。監督も含めて安全圏のない緊張が、チームを覆った。10月4日の広島戦、代打の立浪がサヨナラ打を放ち、インタビューで涙を見せる。森野は、すべてを得た男でさえ一つのポジションに感情をむき出しにする世界を、落合の無表情な采配がつくったと悟る。

説明しないのは、冷たいからというより、決着をグラウンドの中に置いておくためだったんだと思う。俺が「僕のLIMITS③」で書いた、プレゼンを切って、説明で作品を救う余地を残さなかった話と、構造はかなり近い。

第3〜4章福留の「二つの涙」と宇野の違和感

第3章の福留孝介は、鹿児島出身、PL学園。1995年のドラフトで7球団が1位指名した逸材です。少年時代、串間の中日キャンプで硬式球をくれた裏方スタッフが、落合が2005年オフに断行した血の入れ替えで解雇され、福留は落合への熱を失う。それでも、打撃の眼力と技術には惹かれる。好き嫌いを持ち込むと損だ、と割り切った。著者は、福留が落合を感情抜きの「鏡」にしていた、と理解する。

面白いのが落合の源流。いちばん影響を受けた打者は、ロッテの代打職人・土肥健二(170cm)。スライダー対策でバットの出を遅らせる構えが、神主打法の原型だった。落合はキャンプの隣のケージで土肥の構えを観察して再現し、三冠王の頃には自分の代名詞にした。「オレ流」の実体は模倣だと、落合自身が語っている。完全な模倣から独自の技術が生まれる。ものづくりの世界でも、これはまったく同じだと思う。

2006年9月、落合のバッグ(現金37万円の財布、時計、御守り)が監督室から消える事件があり、著者は夫人を訪ねる。無名時代の欲のない落合に、互いの御守りをベランダで燃やして新しい御守りを渡し、タイトルと三冠王で名を残すと約束させたのが夫人だった。嫌われても平気な一匹狼の支えは、ここにあった。10月10日、マジック1の巨人戦で福留が勝ち越し打を放ち、優勝。落合も福留も泣いていた。これが「二つの涙」です。

第4章の宇野勝は、1984年本塁打王の打撃コーチ。優勝直後に腹心の長嶋清幸ら5人のコーチが理由を告げられずに去り、手堅い野球は「つまらない」と言われ始める。落合は、打撃は3割が上限だが守りは完璧を狙える、として投手と守備を重視し、低めを振るな、の一点だけを全員に徹底させた。打撃を極めた男が、なぜ打撃を信じないのか。ロマンと勝利の食い違いが、宇野の違和感になっていく。

第5章日本シリーズ、山井から岩瀬への継投

本書の山場です。2007年11月1日、ナゴヤドームの第5戦。中日は3勝1敗で、勝てば53年ぶりの日本一。山井大介が完全試合ペースで8回まで投げ、9回に守護神の岩瀬仁紀へ交代する。この場面を、宇野、森繁和、岡本真也、著者らの視点で追いかける。

3回に、森は山井の血マメが潰れたと知る。落合には伝えず、捕手の谷繁にだけ注意を頼む。落合が投手起用に口を出したのは、4年間で2004年の開幕投手の一度だけ。岡本の回想は、2004年の日本シリーズ第3戦。代えられると思った場面で立浪と谷繁が続投を直訴し、落合が初めて決断を覆して岡本に任せた。ところが本塁打を浴びて敗戦、シリーズも3勝4敗。翌日、落合は全部自分のミスと語り、以後、選手と急速に距離を置くようになる。

交代が告げられ、ドームは怒号と悲鳴と嘆息で揺れる。会見で落合は、山井が「いっぱいだ」と言ったからだと説明した。ただ本書は、実際の経緯を別に描く。谷繁は「山井に聞いてくれ」と答え、森が山井に尋ねると、いったん行くと答えた山井が呼び止めて、自ら交代を申し出た。森は、救われたと感じた自分を嫌悪する。会見の説明は体裁で、関係者それぞれが揺れと負い目を抱えていた。

深夜の駐車場で、著者は事前に決めていたのかと落合に問う。落合は、2004年の負けは自分の甘さだったと認め、全員が乗る船を一人のために沈められない、という趣旨を語る。最初から冷徹な機械だったんじゃない。もがいた末に、非情という答えにたどり着いた人間だった。

俺は、ここが本書の核心だと思う。「僕のLIMITS②」で、失敗が意味に変わるんじゃない、意味を持つ判断が失敗によって露出するんだ、と書いた。2004年の負けのあとに、落合が何を選んだか。2007年の継投は、その判断が人前に出た瞬間です。

第6〜7章即戦力か十年先か、エースの条件は五年

第6章の視点は、スカウト部長の中田宗男。星野監督に「十年先を見て選手を獲れ」と教わり、1988年に高校生左腕の今中慎二を単独1位指名して、沢村賞投手に育てた成功体験がある。ところが落合は就任時から即戦力を求め、2008年のキャンプ初日に、投手以外のレギュラーは決まっていると公言する。

2008年10月29日のドラフト前日会議。中田は東海大相模の18歳遊撃手・大田泰示を推し、落合は来季は外野が要るとして、社会人の野本圭(24歳)を譲らない。大田は巨人が抽選で獲得した。背景には、親会社の新聞業界の不振と、2004年の球界再編以降の健全経営の要求があり、潤沢な補強費の時代は終わっていた。時間軸の対立は、好みの違いじゃなく、経営環境への適応でもあったわけです。

第7章の吉見一起は、球速ばかり追っていた若手。2008年に10勝して「新エース」と書かれても、落合は、ただ投げているだけの投手は長生きできない、と冷淡だった。そもそも落合は「エース」という語をほぼ使わない。2009年5月の横浜戦、吉見はスピード表示を一度も見ず、打者の反応と流れを観察して投げ、10回128球無失点、1-0で勝つ。2010年には3年連続の2桁勝利。落合が珍しく賛辞を口にしたあと、サロンで一言「五年」。三年でなく五年続ければ認める、という意味だと吉見は受け取る。

称号は安売りしない。一度の好成績では持ち上げない。人を評価する立場の人ほど、ここは耳が痛いはずです。

第8章和田に「自分の数字だけ考えろ」

和田一浩は、2008年に西武から35歳でFA移籍してきた外野手です。外から見た落合は、完全試合目前の投手も替える勝利至上主義者だった。

無死二塁で自己犠牲の進塁打を打つと、監督室に呼ばれて叱られる。チームのことは考えず、自分の数字だけ考えろ。勝たせるのは指揮官の仕事だ、と。個の追求を許す代わりに、結果責任を負わせる設計です。痛む選手に休めとは言わず、やるのかと問うだけ。できないと言えば二軍で、席は他人に渡る。根性論とは違う、権利と責任の天秤による怖さ。章題の「逃げ場のない地獄」はこれ。

和田は2010年、38歳でセ・リーグ最年長のMVP。37本塁打、打率3割3分超、打点90超の自己最高で、年俸4億円の3年契約を得た。きっかけは2008年のキャンプで、落合が1時間無言で打撃を観察し、今の打ち方では怪我をするし成績も伸びない、と告げたこと。強制はしない。その気になったら来い、時間はかかる、と言うだけ。2009年のキャンプで和田のほうから頭を下げ、3年計画で、十本の指の動かし方から手順を論理的に組み直した。若手には、言えばわかる段階とわからない段階がある、と落合は語る。

チームのためという言い訳を、最初から取り上げてしまう。優しくはない。でも、これほどフェアな設計もなかなかないと思う。

第9〜11章左殺しの小林、舌禍事件、ブランコの契約

第9章の小林正人は、ドラフト6巡目の左腕リリーフ。落合の就任直後、オフは人数を決めずに戦力外にするという方針が伝わり、大卒2年目で妻子がいた小林は怯える。3年目のオフ、投手コーチの森繁和にサイドスローへの転向を勧められ、西武黄金期の「左殺し」永射保のビデオを渡される。他球団の左の主砲を飯の種にしろ、という意図だった。2011年初夏の広島戦では、小林の登板に、前田智徳が自ら退いて代打の代打が出る。普段は序列が低くても、特定の局面ならエースに勝つ。トランプの「2」として自分を誇れるようになった章です。

第10章は、球団取締役編成担当・井手峻の視点。役員会で落合への不満を問われるたびに、任せておけば大丈夫、と答えてきた。根拠は1989年1月の舌禍事件。選手だった落合が、星野監督の課した体重超過の罰金を公然と批判し、5日後に謝罪して決着した。プロを縛るのは契約書だけのはずだ、と涙を見せた夜もあった。そして2011年、本社から来た社長と代表が人件費を調べ始め、オーナーは続投を明言しなくなる。勝ち続けて年俸が膨らむ契約が、自分の首を絞めていく。

第11章のブランコは、通訳・桂川昇の視点。2008年オフに高年俸の主砲ウッズが去り、落合は森をドミニカへ派遣する。メジャーで結果が出ずマイナー暮らしだったブランコを、ウッズの20分の1以下の年俸30万ドルで獲得。補強費が細るなかで、本人の「飢え」に賭けた。打点+得点が150を超えると大きな賞与が出る出来高契約が、本塁打狙い一辺倒だった男にボール球を見送らせ、1年目に二冠王。成果の定義を変えたら、本人がやり方を変えた。仕組みの勝ちです。

第12章・エピローグ荒木の決勝点、退任、最後の言葉

最終章の視点は荒木雅博。1995年に熊本工高から中日1位、ただし本命の福留を抽選で逃した末の指名で、打撃の才に乏しく、5年目まで安打はわずか。2003年秋の沖縄キャンプで、落合は自らノックを打ち、飛びつく荒木に「飛び込むな」と言う。お前ほど足が動く選手は少ない、と。荒木は初めて等身大で評価されたと感じた。ところが2010年、落合は荒木と井端を入れ替え、荒木は遊撃で失策を重ねる。理由はあとで明かされる。毎日同じ場所から見て、井端の足の衰えに気づいていたからだった。

2011年9月22日、退任が発表される。後任は高木守道。理由は「新しい風」程度で、首位攻防の直前に発表した理由は語られなかった。翌23日のヤクルト戦、荒木は0-0の8回、井端の中前打で本塁に突入し、禁じられていたヘッドスライディングで決勝点。落合は初めて荒木に「大丈夫か」と声をかける。自分で判断して自分の責任でやったのなら、もう言うことはない、とも。

9月22日以降は15勝3敗2分、最大10差を逆転して、10月18日の横浜で球団史上初のリーグ連覇。日本シリーズはソフトバンクに3勝4敗でした。エピローグで落合は選手に言い残す。2004年のキャンプ初日の紅白戦は、誰にも教わらない時期に、一人で考えて練習させるためだった。これからも自分のために野球をやれ、と。

著者への言葉もある。行く先で自分の話はするな。自分の目で判断し、特定の人物に頼らないと書けない記者になるな。あとがきは、落合は見る人によって破壊者にも革命家にもなる、と結ばれる。

8年かけて、監督がいなくても自分で判断する選手をつくって、去る。言葉で取り繕わず、行動の筆跡だけを残していく。俺には、これがこの人なりの誠実さに見える。

LESSONS明日から使える教訓

  1. 新しい現場では、まず何も変えずに見ろ先入観を捨てて、現有メンバーを自分の目で評価する期間をつくる。同じ位置から見続けると、数字に出ない衰えや伸びが見えてくる。俺的には、改革の第一手は「変える」じゃなく「見る」だと思う。
  2. 評価の物差しは一本にして、変えるな好き嫌いで人を動かさず、成果につながる行動を一つに絞って徹底する。物差しが一貫していれば、厳しさは信頼に変わる。ただし、説明しない方針には外の反感と孤立という代償がつく。そこまで描いているのが、この本の誠実なところです。
  3. 自分がいなくても回るように、教えない時間をつくれキャンプ初日の紅白戦は、誰にも教わらない時期に一人で考えさせるためだった。リーダーの仕事は、最後に自分を不要にすること。事業づくり的にいうと、引き継ぎ資料より先に、自分で判断できる人を残せってことです。

CONCLUSION俺の結論

結論。人を評価する立場になったら、全員に配慮した判断に逃げるな。誰かを不快にしても、自分の名前で引き受けろ。

そのうえで、物差しは一本にして、毎日同じ場所から見る。説明で納得させようとするより、判断の積み重ねで信用をつくる。

嫌われるのは、たぶんその代償です。落合はそれを8年払い続けて、最後に自分で考える選手を残して去った。明日からチームを見る人は、まずその代償を払う覚悟があるかどうか、自分に聞いてみてください。

NEWS関連ニュース

この本のテーマについて、最近話題になったニュースです。

共同通信配信(熊本日日新聞) ・

中日新監督に工藤氏就任へ ソフトバンク率い5度の日本一

中日が、元ソフトバンク監督の工藤公康氏(63)を新監督に迎える見通しだと報じられました。井上一樹監督(55)は就任2年目で、成績不振を理由に辞任を表明していました。中日は今季、6年連続でBクラスが確定しています。編成とコーチ人事は球団主導で進める方針とされています。

この本とのつながり:本書が描く落合時代は、8年間でリーグ優勝4度という、中日が勝ち続けた時期です。現在のチーム再建の動きと並べて、監督の人選や組織運営を考える材料になります。

FOR YOUこんな人におすすめ

合わないかもしれない人:采配を数字やデータで分析した本を求める人。中心は人物と人間関係の描写で、会話や内面は著者の取材と解釈によるものです。

FAQよくある質問

『嫌われた監督』は何が書いてある本ですか?

落合博満さんが中日の監督を務めた2004〜2011年の8年間を、12人の関係者と著者の目から、年ごとに描いたノンフィクションです。

『嫌われた監督』の著者は誰ですか?

鈴木忠平さんです。1977年生まれで、日刊スポーツでプロ野球担当を16年務めた記者です。本書では、自身も若手の番記者として登場します。

この本はいつ出ましたか?

文藝春秋から、電子版は2021年9月20日に発行されています。底本は同年9月25日刊の単行本で、初出は週刊文春の連載です。

どんな構成の本ですか?

プロローグ、2004〜2011年の年ごとの12章、エピローグ、あとがきの構成です。各章は川崎憲次郎、森野将彦、福留孝介など、1人の人物の視点で描かれます。

2007年日本シリーズ第5戦の継投は、どう描かれていますか?

山井大介投手が8回まで完全試合ペースで投げたあと、9回に岩瀬仁紀投手へ交代し、53年ぶりの日本一になった場面を、森繁和コーチや岡本真也投手、著者などの視点から描いています。会見での説明の裏にあった揺れも書かれています。

落合はなぜ嫌われたと描かれていますか?

語らない、説明しない、情報を外に出さないという方針が、外からは冷たく見えたと描かれています。本書は、その方針に孤立という代償が伴ったことも書いています。

この本からマネジメントで何が学べますか?

先入観を捨てて現有メンバーを自分の目で見る、評価の物差しを一貫させる、役割を絞って専任にする、といった点が挙げられます。ただし実在の人物の描写は、著者の取材と解釈によるものです。

落合博満さんへの評価は、本書でどうまとめられていますか?

あとがきは、落合さんは見る人によって破壊者にも革命家にもなり、最後まで規定できなかったが、それでよい、と結んでいます。

野球に詳しくなくても読めますか?

中心は采配の数字ではなく、人物と人間関係の描写なので、人の評価や組織の話として読めます。ただ、中日や落合さんを知っているほうが、背景は入りやすいです。

MONOGENIC伊丹谷のブログから

ご注意:実在の人物を描いたノンフィクションで、会話や内面の描写は著者の取材と解釈によるものです。当サイトで検証したものではありません。落合博満さんへの評価は見る人によって大きく分かれ、本書もそう書いています。

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