【広告】当サイトはAmazonアソシエイト・プログラムに参加しており、本の紹介リンクから購入されると収入を得ることがあります。

思考

善意が支配に変わるのは、結果を握ろうとした瞬間だ。

「利他」とは何か伊藤亜紗・中島岳志・若松英輔・國分功一郎・磯崎憲一郎

「利他」とは何か (集英社新書)

伊藤亜紗・中島岳志・若松英輔・國分功一郎・磯崎憲一郎 ・ Kindle版

Kindle版をAmazonで見る

※広告リンクです

ひとことで言うと東京工業大学の5人が、コロナ下で注目された「利他」を問い直す集英社新書です。数値化と善意の落とし穴、贈与が残す負債感、民藝の器、中動態と責任、小説の歴史。5つの入口から、自分が「うつわ」になる利他にたどり着きます。

INTROどんな本か

さてさて、「利他」って言葉、ここ数年でやたら見かけるようになりましたよね。他人のために動く。いい話に聞こえる。

でもこの本は、最初からそこを疑ってかかる。善意は、相手を苦しめることがあるんじゃないか。助けたつもりで、相手を縛ってるんじゃないか、と。

集英社新書、2021年3月22日の第1刷(電子版は3月31日)。東京工業大学の「未来の人類研究センター」の共同研究から生まれた本で、編者は伊藤亜紗さん。著者は伊藤亜紗さん、中島岳志さん、若松英輔さん、國分功一郎さん、磯崎憲一郎さんの5人。論文集じゃなく、議論を重ねた利他論の「5通りの変奏」です。

入口がいい。伊藤さんは、自分は当初「利他ぎらい」だったと明かす。障害のある人の研究で、周囲の善意が本人の「壁」になる場面を、たくさん見てきたからです。

第一章の一文が、この本の芯だと俺は思う。利他の最大の敵は、目的に向けた他者のコントロール。「相手は喜ぶべき」に変わった瞬間、利他は支配になる。

これ、俺が2020年に「課題の分離」で書いた話とほぼ重なる。課題を切り分けずに介入するのは、支配欲でしかない。愛情と支配欲は、気づいたら表裏一体だった、と。善意と支配は、だいたい同じ顔をしてやってくる。

2025年の「期待値のズレ」の記事では、苦しみは相手への期待と現実のギャップから生まれる、と書いた。本書の大原則、行為の結果はコントロールできない、はその裏返しだと思う。結果を握ろうとした瞬間に期待が生まれて、ズレが生まれる。

そこから話は大きく動きます。贈り物がなぜ贈り手に「いやな気持」を残すのか。民藝の器と他力。「意志」という概念が責任を歪めてきたという話。設計図なしに書く小説の歴史。バラバラに見えて、最後は同じ場所に集まる。利他は、自分が何かをする話じゃなく、自分が「うつわ」になる話だ、という場所に。

手順書ではありません。おわりで中島さんが書くとおり、思考の「種」にすぎない、という距離感の本。善意の押しつけや成果の数値化に、モヤモヤしている人ほど効きます。

答えを渡さない。そこが、この本のいちばん誠実なところだと思う。

CHAPTERS章ごとの中身

はじめにコロナ下で注目された利他の危うさ

伊藤さんの「はじめに」は、コロナ禍で利他が注目された話から入る。経済学者のアタリは2020年4月のNHK番組で、競争ではなく他者のために生きることへの回帰を説いた。給付金の一部を寄付したい人は20代が37%で最多、すでにコロナ関連で寄付した人は20代18.7%に対して60代8.1%、という数字も挙がります。

ファッション界でも利他が鍵語になった。背景には、アパレルの大量廃棄(約6割が着られない)や、2013年のバングラデシュ縫製工場崩落(死者1000人超)がある、と。

ただし本書の立場は、利他を掲げるだけでは足りない、というもの。負の側面や危うさも含めて考える。本書自体も、思考の「種」にすぎないと断っています。

いい言葉ほど、中身を問われないまま広まっていく。最初にブレーキを踏んでから走り出す本は、信用できる。

第一章善を数値で測ると、何が見えなくなるか

整理される立場は2つ。アタリの合理的利他主義は、他者を守ることが自分を守る、という自己利益起点の利他で、「情けは人のためならず」と同型です。P・シンガーの効果的利他主義は、功利主義を徹底して善を数値化し、寄付先を選ぶ。米国の盲導犬1頭の養成費4万ドルで、途上国のトラコーマ患者400〜2000人を治療できる、だから後者に寄付せよ、という例が出てきます。共感は身近な縁に偏るので、理性で判断せよ、という主張です。

背景には地球規模の危機がある。全員が米国並みに暮らせば地球5個分、という数字も。伊藤さんはこの背景を認めつつ、共感に頼る利他には、好かれないと助けてもらえない圧力が生まれることも指摘します。米国は寄付文化が成熟していて(GDP比2.2%、個人寄付が8割、日本は0.11%)、効率志向が自然だという留保もある。

それでも疑問は数値化に向かう。寄付以外の利他が見えなくなり、稼ぎ方が問われない。援助が受け手を幸せにするとは限らず、地元の手で再建する「釣り方を教える」支援が必要だ、という声も紹介されます。

数字は、測れるものしか照らさない。照らされない場所にある利他をどう扱うか。この章の問いは、そこにあります。

第一章罰金とノルマが壊すもの、安心と信頼

数値化が内発性を壊す例が具体的です。イスラエルの託児所で遅刻に罰金を課すと、遅刻が増えた。ボストン消防署で病欠の上限と減給を決めると、年末年始の病欠が10倍になった。伊藤さん自身の家の、報酬制のお手伝いが3日で冷め、無報酬の休校中には子どもが自発的に夕食まで作った、という例も添えられます。

数字の目的化では、米国の落ちこぼれ防止法(2002年)で科目の偏重や低学力の生徒の評価除外が起きた話。グレーバーの『ブルシット・ジョブ』にも触れ、1970年代以降、生産性の上昇分が賃金でなく管理部門の拡大に回った、と整理します。日本のはんこ手続きが典型で、コロナで見直されたのは良い面だ、とも。

そして、利他の最大の敵は、目的に向けた他者のコントロール。全盲の西島玲那さんは、常にガイド付き観光のようだと言い、若年性認知症の丹野智文さんは、先回りの助けが自立と自信を奪うと語ります。

効いてくるのが、安心と信頼の区別。山岸俊男の定義では、安心は不確実性がないと感じる状態で、信頼は想定外のリスクを承知でゆだねること。安心の追求は終わらないので、どこかで信じるほうが合理的です。利他の大原則は、行為の結果をコントロールできないこと。その本質はケア、つまり聞くことで、相手の想定外に出会って自分の評価軸がずれる。宅老所よりあいの村瀬孝生さんの「計画倒れをどこか喜ぶ」姿勢を例に、相手が入り込める余白を持つ「うつわ的利他」が提案されます。

本書のいう「聞く」は、評価したり正したりする聞き方じゃない。俺が2026年の「なぜ沈黙は、人を語らせるのか」で書いた、介入しないという選択としての沈黙と、たぶん同じものを指してる。余白は空っぽじゃない。相手が入ってこられる場所のことだ。

第二章贈り物はなぜ「いやな気持」を残すのか

中島さんの素材は、志賀直哉の「小僧の神様」(1920年、スペイン風邪の流行下に発表)。貴族院議員のAは、寿司を買えなかった小僧の仙吉に、後日、偽名で満腹食べさせる。でも満足ではなく、「変に淋しい、いやな気持」を覚える。贈り手に残るこの後味の悪さを、中島さんは利他・贈与の謎の核心とみます。

チェーホフの「かき」では、職のない父と物乞いの少年に、紳士たちが面白がって牡蠣を殻ごと食べさせて笑う。贈与には、施す側の優位と残酷さが潜む。ガンディーは人前での施しに慎重で、上からの哀れみ(pity)は支配を生む。では共感(compassion)に基づく贈与は可能か、が問いになります。

モースの『贈与論』(1925年)は、与える・受け取る・返すの三つの義務を示した。トロブリアンド諸島のクラ交換では、受け取った物には相手の霊的本質が入っているので、手元に留めず次へ渡す義務がある。中島さんはこれを、純粋贈与ではなく交換の一種と見る。北米先住民のポトラッチでは、財を贈り、時に壊し燃やして気前を誇示し、返せない側は従属する。最大の問題は「負債感」です。

サーリンズの分類(一般的・均衡的・否定的互酬性)では、すぐ返さなくてよい一般的互酬性こそ、権力と階層化の根だと指摘される。生物学で利他の基盤とされる間接互恵も、いずれ返ると見込むなら「利己的な利他」にすぎない、というわけです。

あげた側がモヤっとする、あの感じ。気のせいじゃなくて、構造だったんですよね。

第二章礼の言葉が贈与を交換に変える

中島さんの体験が核になります。20代半ば、大量の本を抱えてニューデリー駅の長い階段で困っていると、年上の男性が黙って運んでくれた。ヒンディー語で礼を言うと不機嫌になり、念を押して礼を重ねると怒って去った。現地では日常的に礼を口にしない、という説明です。

解釈は、礼の言葉が贈与を「交換」に変えてしまった、というもの。思わず動いた行為を、返礼で回収することへの違和感です。『今昔物語』のわらしべ長者では、貧しい青侍が藁しべをミカン、反物、馬、田と屋敷へと替えていくけれど、注目点は、最初に見返りなしで藁をあげた一点。間接互恵は前提でなく「結果」だ、と読みます。

「思わず」の源を、中島さんは仏教の「業」に見る。前世の報いではなく、後ろから押すオートマティックな力。親鸞の『歎異抄』第四条の、自力の「聖道の慈悲」は見返りを求める心に変質しやすく、阿弥陀仏による「浄土の慈悲」は一方的で見返りを求めない、という区別も引かれます。

ブッダはヒンドゥー教の絶対我(アートマン)を否定し、私は五蘊(色・受・想・行・識)が縁でたまたま結びついたもの、と考えた。ヒンディー語では、喜びも風邪も愛も「私に〜がやって来てとどまる」と言う。結論は、利他は所有できず、不確かな未来によって決まる、です。

礼を言うな、という話じゃない。返礼で回収した瞬間に、思わず動いた何かが消える。そこを見ろ、という話だと思う。

第三章器には我がない、利他は自他のあわいに

若松さんは、まず言葉をほどく。「利」は『論語』では目先の私利として否定的で、仏教の「利益」「利生」は福利。「他力」は何もせず待つことではなく、人と仏が二つのまま一つになること。最澄の「忘己利他」(818年)と空海の自利・利他も比べられます。

軸になるのは柳宗悦の「不二」。二つではないが一でもない、自他の壁が消えた状態です。民藝は「民衆的工藝」の略で、1925年に濱田庄司・河井寛次郎と造語された。柳は「利他」の語をほぼ使わない。言葉が本質を遠ざけると知っていたから、と若松さんは見ます。

器には我がなく、用い方を人に委ねる。これが忘己利他だ、という読み。日本民藝館(1936年)は、使われた品や欠けた器も並べる。本は読まれて「書物」になり、料理は食べられて「糧」になる。利他は個人が起こすものでなく、自他のあわいに起こる出来事だ、とされます。

濱田庄司の逸話がいい。大皿の釉掛けを15秒で済ませ、早すぎると言われて「15秒プラス60年」と答えた。かっこよすぎるやろ。笑 手仕事は一度きりのものを生むので飽きない。科学の真理は反復で証明されるが、利他の「真実」は一回性の中にある、と。

美や他者を見えなくする罠は三つ。思想(主義)、嗜好(好き嫌い)、習慣(惰性)。柳の『茶道を想う』(1935年)にある整理で、対処は「じかに見る」こと。陰徳(右手のしたことを左手に知らせない)も引かれ、論理の先に真理はなく、利他は概念化すると死ぬ、と言い切ります。柳が光化門の取り壊しに、処罰の危険を冒して反対文を公表した話も、同じ線上に置かれる。

作り手としては、ここがいちばん刺さる。使い方を相手に委ねた器は、作った人の意図を超えて育っていく。

第四章中動態から見ると、責任は「応答」になる

國分さんの出発点は、ポストモダン思想は近代的主体の能動性を批判して受動性を強調したが、それでは力点の移動にすぎない、という不満です。中動態は、能動/受動の対立の外にある古代語の概念。能動は過程が主語の外で完結し、中動は主語が過程の「場」になる。受動は中動の一用法にすぎず、中間ではありません。

ギリシア語では一語で済んだ「現れる」と「見せられる」を、現代語は自発か強制かで切り分けて問う。その切り分けを担うのが「意志」で、古代ギリシアに意志の概念はなかった、という仮説です。アレントによれば、意志は過去と切断された絶対的始まり。茶碗を割った少年の例では、母の叱責、夫婦げんか、父の上司…と因果を辿ると、誰の責任でもなくなる。意志で因果を切って少年に帰属させるから、責任主体が決まる。

ギリシア悲劇では、人間的因果性(加害者)と神的因果性(運命の被害者)が、両方同時に肯定される。現代の例は、映画『プリズン・サークル』の更生プログラムと、浦河「べてるの家」発祥の当事者研究。問題行動を外に出して現象として研究すると、かえって責任を引き受けられるようになる、といいます。

結論はこう。responsibility の語源は response(応答)。責任は、被害に応えねばと心に生じる中動態的なもので、「中動態は責任を否定する」は誤解。対概念の帰責性は罪を人に帰属させる法の根幹で、意志を根拠に押しつける責任には応答がない。応答としての責任は、中国由来の「義」に近く、利他のモデルになりうる、とされます。

犯人を決めるのをやめたほうが、人は責任を引き受けられる。逆説に見えて、現場を回したことのある人ほど頷く話だと思います。

第五章・おわりに作家も「うつわ」、5人の共通点

第五章は、小説家の磯崎さんの、少し毛色の違う章です。2010年正月に保坂和志さんと散歩中、北杜夫さんと偶然出会い、中学で読んだ『楡家の人びと』を読み返すと、30年以上読んでいなかったのに、自分のデビュー作と、自然への視線や語り手を突き放す感覚がそっくりだった。その驚きから始まります。

主張は、作家と作品が先にあって後から小説史ができるのではなく、歴史が先にあり、作家はそこへ投げ込まれて書き、次へバトンを渡す、というもの。小島信夫の短編「馬」は、妻が無断で家を建て始め、夫は訳も分からず建築費のために通勤し続ける話で、主人公の強い受動性が、かえって物語を推し進める。設計図どおりでなく、脇道にそれながら書いた作品にこそ力が宿る、と結ばれます。

中島さんの「おわりに」は、利他と利己はメビウスの輪のようにつながる、と言う。5人に共通するのは「うつわになること」。伊藤さんは、結果をコントロールできない、任せる・信頼する。若松さんは、民藝の器、自他のあわいに生まれる利他。國分さんは、中動態では自己が生成の場になる。磯崎さんは、作者は小説の「うつわ」。そして中島さんは、人知を超えた「オートマティカルなもの」が宿る構造を重視します。

設計図どおりより、脇道にそれた作品に力が宿る。俺はこれを、創作の話としても、人が集まる場をつくる話としても読みたい。

LESSONS明日から使える教訓

  1. 罰金とノルマは、入れる前に副作用を見ろ内発的動機を置き換えてしまうことがある。数字の目的化や、現場の受け止め方を先に確かめる。事業づくり的にいうと、制度は設計した側の意図より、受け取られ方で効き方が決まる、ってことです。
  2. 助けは先回りせず、断られたら引け本人の力を信じて任せ、反応を聞いて計画を直す。相手に任せる余白を残しておく。俺は、ここがこの本の本体だと思います。
  3. ミスの振り返りで、犯人を探すな経緯や環境要因をいったん外に出して、一緒に眺める。「自分でやったのか、やらされたのか」と二択で問い詰めない。そのほうが、本人は責任を引き受けやすい。

CONCLUSION俺の結論

結論。善意を、相手の反応や感謝で回収しようとするな。

明日、誰かを手伝う場面があったら、一個だけ試してほしい。先回りせずに、まず聞く。相手が断ったら、引く。うまくいかなくても、それは相手のせいでも自分のせいでもない。結果は、もともとコントロールできないものだから。

利他は、立派な行いの名前じゃない。相手が入ってこられる余白を、自分の中に空けておくこと。この本は、その空け方を5通りの言葉で教えてくれる一冊です。

NEWS関連ニュース

この本のテーマについて、最近話題になったニュースです。

東洋経済オンライン ・

ふるさと納税は「寄付」なのか?人々の意識はどこに向いているか?最新調査から見えたその実態…制度見直しが必要である理由

大阪大学の佐々木周作特任教授が、最新の寄付調査をもとに日本の寄付の実態を論じた記事です。2024年の個人寄付総額は2兆261億円で過去最高、2016年比で2.6倍。ただしふるさと納税が2016年の2,844億円から1兆2,728億円に増えたのが大きく、これを除く寄付は4,912億円から7,533億円で、1.5倍でした。寄付者率は44.5%で、約10年ほぼ横ばいです。

この本とのつながり:本書は、数値化や制度が善意を置き換えてしまう危うさを問う。寄付額の増加の大半がふるさと納税という制度によるものだという数字は、善意と制度、利他と交換の境目を考えさせる。

FOR YOUこんな人におすすめ

合わないかもしれない人:利他の実践ノウハウを、手順で知りたい人。この本は考え方の種を示す思想書で、5人の話題もかなり違います。

FAQよくある質問

『「利他」とは何か』は何が書いてある本ですか?

東京工業大学の5人が、利他を5つの角度から論じる集英社新書です。数値化と善意の落とし穴、贈与、民藝、中動態と責任、小説の歴史を通して、自分が「うつわ」になる利他を語ります。

「うつわ的利他」とは何ですか?

伊藤亜紗さんの提案で、相手が入り込める余白を持ち、自分も変わりうる姿勢の利他です。結果をコントロールしようとせず、相手の想定外の可能性に出会うことを大切にします。

著者は誰ですか?

伊藤亜紗さん、中島岳志さん、若松英輔さん、國分功一郎さん、磯崎憲一郎さんの5人です。伊藤さんが編者で、東京工業大学「未来の人類研究センター」の共同研究から生まれました。

なぜ数値化は利他を壊すのですか?

寄付以外の利他が見えなくなり、内発性を壊すからだ、と伊藤さんは述べています。例として、託児所で遅刻に罰金を課したら遅刻が増えた話や、数字が目的化した教育政策の話が出てきます。

贈与はなぜ「いやな気持」を残すのですか?

中島岳志さんは、贈与が施す側の優位と、受ける側の負債感を生むからだと考えます。志賀直哉「小僧の神様」やモース『贈与論』を手がかりに説明されています。

中動態とは何ですか?

能動でも受動でもない、古い言語にあった態です。國分功一郎さんは、中動態の衰退と、行為を個人に帰属させる「意志」の台頭が並行したと論じ、責任を「応答」として捉え直します。

この本は仕事にどう役立ちますか?

罰金やノルマを導入する前に副作用を点検する、支援は先回りしすぎず断られたら引く、ミスの振り返りで犯人探しをしない、といった問いが得られます。手順書ではなく考え方の本です。

哲学に詳しくなくても読めますか?

5人の話題が大きく異なるため、読みやすさは章ごとに差があります。ただし章ごとに分かれたつくりで、小説や民藝、日常の具体例も多く、複数の入口から入れます。

この本の批判や注意点はありますか?

利他の実践ノウハウを求める人には向きません。引用される研究や統計は各筆者の記述で、解釈も各筆者の見方です。結論を一つにまとめず、思考の「種」として提示する本です。

いつ出た本ですか?

集英社新書として、2021年3月22日に第1刷が発行されました。電子版は2021年3月31日です。

MONOGENIC伊丹谷のブログから

ご注意:哲学・思想・文学にわたる共著の紹介です。引用される研究や統計は各筆者の記述で、当サイトで検証したものではありません。解釈は各筆者の見方です。

Kindle版をAmazonで見る

本文は書き写さず、自分の言葉で紹介しています。内容に誤りがあれば、本でご確認ください。 当ページのリンクはAmazonアソシエイト(広告)です。詳しくは広告について。

SIMILAR似たテーマの本